なぜか7時半起床。
見事な霧がかかっていたけれど、後ろに太陽の光が見えたので、どうやらまた晴れる模様。
9時から練習。これは、引っ越して以来初めてのことかも。しばらく練習してから、姉と初合わせ。ベートーヴェンVnソナタ5番と、フランクVnソナタ。それぞれ直すべき点はたくさんあったけれど、アンサンブルとして特に目立つ箇所はなかった。どちらも難しいソナタなので、アンサンブルでも苦労するかと思われたけれど、意外にすんなりとできたので、ちょっと安心した。ただ、完璧とはまだほど遠く、残りの3、4日で少しずつ調整できたら、と思っている。でもやはり、自分一人で練習している時と違い、フランク2楽章は(私が)ちょっとありえなかった。あとは、それぞれのポイントとなる解釈などを話しつつ、合わせを進めていった。楽しかった。
お昼になったので、炒飯を作る。あと、きのういただいた乾燥お味噌汁を。美味しかった。
やはり、晴れた。
気温は今日も上がったようで、外に出てみたら、2軒となりの猫を久しぶりに見かけた。あちらは、私をにらんでいた。
何と愛らしい。秋頃まではよく庭にいたのだけれど、寒くなってからは全然見なかったので、会えて嬉しい。
昼食後は、また練習。今日はパスカル先生のトライアウト・クラスの日で、リスト伝説1番を弾く予定だったのでさわらねば…。さすがに来週のレッスンこそ、2番を何が何でも見てもらう。そう言いつつはや3週間。
3時半に姉と家を出て、ベーカーストリートで彼女の友人と待ち合わせ、そのまま一緒に学校へ向かった。クラスは4時半から。
まず、ベートーヴェン協奏曲2番1楽章の伴奏を。練習していなかったのが先生にバレた。「彼女の試験までには何のミスもなく完璧にしておくようにね」と言われ、おっしゃる通りです、と思うほかなかった。来週のクラスでは、今度は2楽章。あと、私自身もリストを弾く。今日は調子が悪かったのか、自分が集中していないことを自覚しながら弾いていた。もうちょっと安定したコンディションを作れるようにしたい。けっこうちゃんと練習したのになぁ。まだ手に着いていないようだ。それに、未だに手と足は震える。でも意外に先生の反応が良くて、素直に喜べないけれど、ありがたく受け取ることにした。
少し疲れたけれど、3人で家に戻って、フラットメイトとしゃべりながら夕食の支度を始める。お馴染みだけれど彼らに振舞うのは初めてだし、豆腐もひき肉もあったので、麻婆豆腐を作る。あとは、豚肉の野菜炒めと白菜+たまごのスープ。
3人分だと思って大目に作ってみた。残ったので、良かった。どうやら2人とも満足してくれたようなので安心。
食事の後もフラットメイトと4人で長い間話し込んでしまった。夜、友人を見送り、一日が終了。今日は長い一日だった。明日はパスカル先生のレッスンがある。姉相談して、ベートーヴェンの方を持っていくことにした。どんなレッスンになるだろうか…。
今日、自分で気がついたこと。それは、明らかに自分の物言いが直接的になってきていること。遠慮がなくなっている。これは日本に帰ったら絶対に気をつけなければならないことの1つだ、、と危機感を感じた。歯に衣着せぬと言うか、毒舌というか、単に直言か…。相手を傷つけているかもしれない、と反省する。でもこちらではへつらうことも婉曲も何もなくて本当に快適だ。日本に居た頃は、例えば相手が事実と反することを発言した場合、「でもこういう見方もあるんじゃない?」という言い方をしていたけれど、今は、例を挙げれば、「違うよ、それはこうだよ」である(笑)日本にいた方がずっと長いのに。
8時半起床。早く起きる必要ないのにしくじった。
こんなに続いていいのかな、と不安になるくらい良い天気だ。
座布団を使って座っているけれど、上を向いたらいつも青空がある。
午前中と午後は、練習していた。久しぶりにグリーグ協奏曲の2,3楽章を弾いたら、見事に忘れていてびっくりした。暗譜に時間はかからないと思うけれど、コンペティションが近いので、じっくりきちんとやろうと思う。あとはVnソナタのピアノパートやリスト伝説、新しく勉強しようと思っているヒナステラ、など。
夕方4時に家を出て、5時にEmbankment駅で友達と待ち合わせる。
バレンボイム(Daniel Barenboim)のベートーヴェン・ピアノソナタ演奏会がRoyal Festival Hallである。開演は7時30分。なぜ5時にホールへ行ったかというと、2人ともチケットを持っていないから(笑)リターン・チケットが目当てで今日は来たので、聴ける保証はなかった。2時間半前に来たにも関わらず、すでにそこには15人ほどの列があった。しかし、幸運なことに、7時半ぎりぎり手前で2枚チケットを手に入れることができた。ラッキィだったがお腹がすいていた。
もちろん、会場はほぼ満員。
日本と違って撮影禁止ではないので、普通に撮らせていただいた。
ピアノはこの位置。ということで、鍵盤と手は見えそうにない。でも、観客全員を見ることができて、まるでオケの一員(永遠の憧れ)か、自分がステージに立ったような感覚になった。
前半:13番(Op.27-1 E♭)、7番(Op.10-3 D)
後半:27番(Op.90 Em)、21番(Op.53 C”ワルトシュタイン”)
あんなに素敵なピアノを久しぶりに聴いて、かなり興奮した。どの曲も知っているけれど、もう、どの1音もすべて意味を持っている、意思の強い音だった。何をしたいかがわかる、伝わらない部分がない、という音楽だった。ホールの一番端まで彼の音楽が充満しているようだった。素晴らしかった。27番を除く3曲は譜読みを含め弾いたことがあるけれど、バレンボイムの弾いているものは忠実に楽譜に沿っていて、スフォルツァンドやその他ベートーヴェン特有のアーティキュレーションなど、個人で変えていることなんて一つもない。なのにどうしてあんなに音楽的に弾けるのだろうと不思議だった。オーケストラの音のようにも聞こえた。まるで球体の水の塊があちらこちらでバシャバシャしているような、そんな立体感があった。
今日誘ってくれた友達に感謝。
ワルトシュタインの最後の音と共に、拍手喝采、ほぼ全員でのスタンディング・オベーションとなった。
左右後ろの客席にも、丁寧におじぎを。
とにかく、最高の演奏会だった。ベートーヴェンを大好きにさせてくれる、そんな演奏だった。彼は本物のgiftedなピアニストだし、彼が、私たちオーディエンスにとってgiftだ。
夜景。
遅くなってしまったので、友達と気を引き締めて帰る。あまり浮かれてふらふら歩いているとろくなことにならない。
10時半に家に到着。フラットメイトが、「電話しようと思っていた」と言ってくれた。私たちは、暗黙の了解で、どちらかが遅いと必ず電話をかけるようになっている。男性ならともかく、女性の夜道、特にロンドンは危機感を持つに越したことはないので。その一言が嬉しかった。
午前中も午後も、休みを入れつつ、ずっと練習していた。外に出なかった。頭もあまり使わなかった。
今、いろいろ溜まっているので、時間があるうちに弾いておかないといけない。特にアンサンブルがたくさんあるので、きちんと進めていかないと後で大変なことになる予感。今週にトリオ(今はベートーヴェン1番)が入るかもしれないので、1ヶ月以上放っておいたものをやり直す。弾けてない…。明日はベートーヴェンピアノ協奏曲の2,3楽章の合わせ。弾けてない…。来週はベートーヴェン・フランクのヴァイオリンソナタだ。弾けてない…。という危機感たっぷりの今日だった。
ソロの方も、曲が溜まる一方である。今、ひそかに夏にコンサートをやろうかと一人で計画中。どうなるか。
特に何をしたわけでもないけれど、遅くなってしまった。今日は短いけれど、また明日。
それと、おとといカウンタを設置しました。右一番下です。
7時から目覚ましを聞き、8時に起床。いつも、起きたい時間の1時間前にアラームをセットしている。
今日は本当に綺麗な朝焼け。
今日もいい天気になりそう。
急いで支度をして、9時に家を出る。いつも起きる時間なので眠くて仕方がないが、これからレッスン。
学校で少しウォームアップをして、スタインウェイ・ショップへ。
とても良いレッスンを受けた(期待を裏切り、また伝説2番を弾く時間がなかったが。)パスカル先生自身も、「今日はいいレッスンだったね」と言われていた。自分で言われるところが、好きである。きのうのパフォーマンスクラスでの演奏について多少話す。とても集中していたことを褒められたのだが、実際、自分が集中していたことは気づかなかった。ただ、指は震えても出したい音はちゃんと出すぞ、と耳を傾けていただけ。どんな心境だったのか、と聞かれたので、「パフォーマーになった時は、我を忘れることがある」と答えたら、爆笑されていた。と同時に、それはとても大切なことだ、とも。
もちろん我を忘れる、と言っても、自分が何をどう弾いたか覚えていない、という訳ではなく、ただ客観性を無くす、ということ。普段生活していて、人前で泣かないこと、その場の空気に馴染むこと、話す前に言葉を考えること、微笑むこと、言いたいことを飲み込むこと、自分の口で何を話しているかを常に理解することなど、いわゆる、「社交的」な面を、すべて取り去ることが「忘我」だと思っている。だから弾いたことはもちろん覚えているし、何が悪かったかも解る。対象が、他人と作り上げる世界(社会)ではない、ということ。
これはフラットメイトとの最近の最大トピックでもあるが、音楽を感じてそれを相手に伝える、というのは、はっきり言って、日常生活とかけ離れている行為である。普段、話す時は歌わないし、女優でもない限り、悲しい言葉をあからさまな顔で伝えたりしない。音を追いかけて宙を見ることもない。簡単に言うと、すべてをさらけ出せることで、伝わるものがある(かもしれない)ということ。「pretend(真似する)」「act(演じる)」「real(本心で)」の境界はとても曖昧だけれど、まず自分が音楽を感じないことには、オーディエンスに伝わることも何もない。それくらいに思っているので、集中する以外にない、という結論だ。人によって集中の仕方、程度、方向性は様々だと思う。
もう冬が終わってしまうのではないか、というくらいの透き通った青空と日差し。
昼すぎに家に戻り、サンドイッチを作った。名づけてCLH(チーズ・レタス・ハム)。…そのまま。
もちろん一人分。紅茶と一緒に。
その後は、記憶が少し飛んだ。寝ていたようだ。
夜、またフラットメイトと演奏の話になる。特に、演奏中の顔や姿勢や、いろいろ外見について。確かに少し変ではある。私の顔も相当変になっているはずである。自分も彼女も、普段感情の起伏が表に出るタイプではないので、そういう性格が演奏に反映するか、についても触れた。飛び交う考えと話題の飛躍。こういうことは話しているだけで楽しい。答えも目標も、何もいらない。フラットメイトがいてよかった。
明日は練習の一日になることを願って。
最近、晴れることが多い。
10時に家を出て、ピアニストと一緒に移動する。本番で譜めくりをして、学校に戻ってきたのは3時半頃。次のヴァイオリニストの公開レッスンまで少し時間があったので、リージェンツ・パークを歩く。この時点で多少の痛みを頭に感じていた。まずいぞ…。
でも公園はやっぱりきれいだった。
本当にいい青だ。でも頭が痛い…。
学校に戻って、練習室が見つかったので、(仕方なく)練習する。頭が痛いと何も手につかないけれど、帰る程の大きな痛みではなかったし、伴奏をキャンセルするなんて、嫌だった。5時半に合わせをして、6時にレッスン。
頭痛があるからと言って指が動かない訳でも音楽が楽しめない訳でもない。人間は複雑だな。
ところで、このモーツァルトの協奏曲の1楽章、ピアノのオケパートが見開き1ページあるので、普通は弾かずに途中から弾く。なので、私は、最後の3小節だけを楽譜の左端に切って置いている。Aメジャーのコードだけなので覚えられない、ということはないけれど、念のため。
こんな感じ。
これを見たヴァイオリニストが、「可愛い、可愛い!」と連発していた。そういうものか。
長く書きたいところだけれど、頭痛が酷くなってきたので、今日はここまで。
今のところ毎日更新しているけれど、更新しない日があるとするなら、それはパソコンの調子か、長期外出か、頭痛である。