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2025/01/17 08:55 |
是認

8時起床。もたもたしてると、特に朝はすぐに時間がたってしまう。

9時半ころに、近くのハイ・ストリートへ買い物に。Trailing socket(蛸足配線のための、コンセントがたくさん挿せるもの。あれの本当の名前は…?)や、パセリ、ひき肉、ナスなど。オーブン用のお皿を買ったので、いろんなものが作れそう。

午後から練習。バラード4番は、譜読みは大体終わった。楽しくて、1番と3番もついでに読み直すことに。きゃーショパン素敵。ベートーヴェンのソナタも、暗譜は完了。あとは弾けるようにすること。何か、最近リズムが良い。きっといいことがあったからだ。記憶力もいいし。今のうち今のうち(笑)調子がいい思うと後が怖くなるから、良くても、見て見ないふりをする。

最近わかったことがある。前は、ピアノを弾くのは自分のためだと思っていた。自分がいい演奏をするために、その技術を身につけるために勉強しているのだと思っていた。でもそれは違っていて、上達することも、いい音を出すことも、いい音楽をすることも、結局は、自分の耳を含め、聴いてくれる人のためだということ。どんなに人前に出なくなっても、音楽をするときは、それを忘れてはいけないんじゃないかな、と思う。「実際コンサートに来てくれた人」、という意味ではなくて、もっと不特定の、「対ヒト」でなくては成り立たないものだと実感することで、日々の音楽が変わっていくのかなー、とか思ったり…。第三者の存在を予感・肯定していなければ、「伝えたい」と思うはずがないのだから。

大学時代に、友達とこんなことを話した。たとえば、猫(何でもいいけど、意思疎通の難しい動物)がたまたまピアノの鍵盤に触って、すっごくきれいな音が出た時。ヒトがするであろう反応をあげてみた。
・「何て素敵な響き」などとうっとりする。
・動物でも人間でも、一音では音楽にならない。
・ヒトが弾いた訳ではないので、関係ない。
・偶然の産物は音楽といえるのか。
・猫が実はピアニストだったことに驚きを隠せない。     などなど…。
正解はないし、特に架空の話なので挙げたところで是認する要素も情報もないけれど、盛り上がる題材にはなった。自分がどう思う、というよりは、挙げては否定、肯定して空白を埋め、音楽って何だろうね、と探している感じだった。意味がないのに、だからこそ、余計に面白かった。

でも…。今は少し違うかもしれない。
その猫に、伝えたいという意思がなかったら、やっぱり、音楽にはなり得ないのではないかと、思う。まだまだ隙間はたくさんあるけれど(笑)
ちなみに、今回は、「音楽」をクラシックという狭義で使っている。


日本は、大雪になる可能性があるとか…。皆様、どうぞお気をつけください。

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2009/01/10 07:33 | Comments(0) | 音楽

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