水曜の夕方、東京について、双子の家(家は双子ではない)に数日お世話になっている。
次の日の朝一緒に家を出て、三鷹の森ジブリ美術館へ。
ずっと前から行ってみたいと思っていて、とうとう叶った。
本当に面白かった。セル画も興味深かったけれど、仕事場を再現したレイアウトなどもあったし、ナウシカの草案などもたくさん見れて良かった。あまり書くとこれから行く人に申し訳ないのでやめるけれど、まず満足。でも、もう少しナウシカのことが知れると思ったので、そこだけ残念。ポニョでいっぱいだった。
ジブリのアニメで一番のお気に入りは、何と言っても「風の谷のナウシカ」。アニメの方は、観ながらでなくても始めから終わりまで大体セリフが言えるし、カメラワークもほとんど描けるくらい心酔(笑)エヴィアンのサマーコースに行った時、同じ部屋の子(学校も同じだった、日本人)に「ここ、腐海に沈みそうな村で、砂嵐吹いてるとこね。赤い服着た人形持ってえ…」と映像の説明含め、「また村がひとつ消えた…。」とマスクをつけたユパ様のものまねをしたら、爆笑された。自分は本気で演じたのに。「そんなことする人だと思わなかった!」と言われた。
大学生のころ、ナウシカの分析本もたくさん読んだし、その延長で宗教に関する本も読んだし、漫画も何度も読んだ。好きなことに理由はいらない。他のことに応用できない限定努力&知識って、けっこう良いと思う(自分に甘く)。
次に好きなのは、と勝手にしゃべるけれど、「紅の豚」。題名がまずかっこいい。デスノートの原作者大場つぐみが言う、「青を踏む」(草を踏む、の意だと思う)と同じように、言葉使いがいい。あとはもう真紅の飛行機が飛ぶ場面、豚が住んでいる孤島、戦闘場面、あぁ、いいなぁ~。プラモのサボイアの紅を塗っていた時は、放心状態、無我夢中でかなり楽しんだのを覚えている。そうだった、スカイ・クロラのプラモもそのうち作らなきゃ…。
『その者青き衣をまといて金色の野に…』
小さい頃、必死で覚えようとしていたナウシカ・大婆様のセリフ。
11月22日、サンサーンス・ピアノ協奏曲第2番、無事に演奏終了。自分自身、とても楽しく演奏することができた。反省点はあるけれど、反省というより次の課題として捉えることができた。
コンチェルトは、本当に楽しかった。オーケストラって、どこまでも成長するような生き物みたいでとっても魅力的だと思う。ピアノという楽器のせいか、オーケストラをひとつの個体として、未知のものに感じていた。けれど、数回合わせをしていく中で、個体ではなくやはり一人一人の音がちゃんと聞こえてきて、アンサンブルの要素も見えてきた。そして指揮者との音楽の交換。普段ソロで演奏する時は、もちろん自分の音楽を他人に伝える必要も機会もなく、デュオやトリオは、合わせていく中で違いが見えてきてすぐ反応できるし、意見の提示も、相手は1人や2人。勘で解る時もある。でも、協奏曲の場合、指揮者はソリストから受け取った音楽をオーケストラ全体に伝える役割だと思うので、指揮者には具体的に表現しておかないと、と感じてしまう。単に人数が多いからかもしれない。音楽作りの過程はソロもコンチェルトも変わらないけれど、テンポですら言葉で表せるようにするように、と準備中は考えていた。何と言っても、そんなに大人数で演奏したことがなかったので、見当違いのことも(ここで指揮者を見て~、ここでうなずいて~、とか)ゴロゴロ考えていた。その過程も面白かったけれど。
そして、本番では、一番良い音を響かせることができた。細かな反省点は多々あるけれど、アンコールの「月の光」(ドビュッシー)も含め、今までの練習の課題でもあった、「質のよい音」「音楽的なフレーズ」は、表現することができたと思う。
指揮者、オーケストラのメンバ、コンサートホールのスタッフの方々、家族、今まで支えてくださったすべての人と、パスカル先生に感謝します。…と、練習を延々と聞いていたフラットメイトと、上の階の住人たちさま(笑)
よく、自分はピアノを通して何がやりたいのか、と思うことがある。今現在持っている目標は、昔の偉大な作曲家の曲をオーディエンスに「ライヴで」伝える媒体になる、というのもあるけれど、音楽に乗せて、ピアノの一番魅力的な音を極めたい、ということ。それももちろん曲の中に含まれているのだけれど、こればっかりは机の勉強だけでは足りないので、指先と頭でしっかり実感したい。音楽にのっとったフレージングと技術、そしてハンマーが弦をはじくあの澄んだ音、それを永遠に追求したい。言うは易し…。(笑)
『微妙な回文』
「カジノ、あららあ、野鹿」
たくさんの人と時間の空白を埋めるような話をして、感じたこと。
私は、昔の話に花を咲かせたいとあまり思わない。「あの時はよかったなあ」なんて言いたくないし、どうせなら、「昔の話なんてどうでもいいじゃん」と切り捨てたい。思い出を捨てるのではなくて、自発的にどんどん新しい情報で積み重ねて埋め尽くしたい。それがとても面白いと思う。だから、自分の歩んでいる道で、前を向いている人は声がとても輝いているし、お互いが、把握していなかった時間に何をしていたかなんて全然知らなくていい。現在、自分と全く違うことをしている人たちの話が、すごくすごく興味深い。
今日、スカイプで3年ぶりに聞いた友達の声は、初めは耳慣れなかったけれど、とにかく明るかった。日本にいた時には5時間くらい平気でしゃべっていたけれど、今日も、まったく変わらずそうだった。ピアノの練習をはさんで(笑)今はもうアメリカに帰って、日本に来る予定も今のところ無いらしい。私もアメリカに行く機会なんて無いので、またさらに数年、彼と顔を合わせることはないのだと思う(カメラを使えば別か…)。
この前は、大学時代の友人と1年半ぶりくらいに電話で話した。彼女も、大学時代に、何に関してもとにかくよく話した一人。でもやっぱり、現在の話に花が咲いていた(笑)彼女は今日本にいるので、会えると思う。
守ろうという努力がいらず、一時的に離れても、時間が影響しない、それが私の思う、友達。
電話を通して、たくさんの友達から、たくさんのエネルギーをもらった。本番へ持ち込みたい。
『友達』
「達(たち)」は複数を表しているので、一人に対して「友達」はおかしいかも。使ってるけど。「子供」の「供(とも)」も同様で、「子供達」は重複しているかも…。どうでもいいかも…。
今日、初めてスカイプをダウンロードして、使ってみた。本当に、隣にいるように音声もよく聞こえるし、信じられないくらい快適で面白かった。しかも電話をしながらメッセージも送受信できる。何故これをもっと早く使わなかったんだろう。
スカイプは、ずっと前からさんざんいろんな友達に使え使え、と言われ続けてきたものだ。ダウンロードも5分くらいで完了するので、明らかにブログの更新より簡単なのに。使わない理由はなかったけれど、使う理由も特になかった。マイクを買いに行くのが面倒だったし、無料だと、際限がなくなりそうなのも嫌だった。でも、ただの電話だった。カメラは、いろいろ考慮した結果、ない方が楽かと思われる。
以前ロンドンで一緒に暮らしていた台湾人の友達が、日本語を勉強するため、今は日本にいる。メールで連絡を取ったら、やっぱり普通に話すと電話代が高くなるからスカイプで話そう、ということになった。運良く、父がマイクを持っていた。ロンドン生活4年目のくせに、この無料電話を初めて使ったのは、結局、国内(笑)彼女と話したのは2年ぶりくらい。
で、とても便利だったのが、話しながらメッセージを送れること。今度のコンチェルトのコンサートにわざわざ来てくれるというので、行き方を教える時、切符の買い方(日本語の文章)や駅名、地名、路線名などの漢字を書いて、発音も書いて、自分が電話で発音して、確認。現地の写真も、話している最中にネットで検索して、送ることができる。すごい。電脳化とは程遠いけれど、やっていることは変わらないかも。これから役に立ってくれそうだ。
明日は再びオーケストラとのリハーサル。夜、寝る前は脳内がコンチェルトの音や楽譜だらけで、発電が起きそう…。
近くにいた母に、「今クロスワードやってるんだけどー、『身を滅ぼしそうなもの』って、何かな?」と何気なく聞いた。
母「しゃっきん」
自分「いや、3文字で」
母「こむろてつや」
……気持ちは解りますけれども。正解は、「ばくち」だった。
すべてひらがなで書いたので、全問が終わったあと、母が言う。「じゃあそれを漢字に直そう」
自分「みんな簡単じゃん。小学生じゃあるまいし」
母「じゃあ、『ちみつ』」
自分「えっと…、ちみつのちって、あ、糸偏が付くか。はい、次は?」
母「じゃあねぇ…、『カカオ』」
自分「………………はいっ?!」
きのう、コンチェルトのためのオケとの初合わせがあった。本当に、初めての経験で、終わったあと頭が空っぽになった。自分(ピアノ)のソロのために大勢が一斉に演奏してくれていることに、音を通して、ただびっくりしてしまった。協奏曲って、こういうことか。途中で落ちたり、オケのいろんな音を聞くのに集中してしまって自分の演奏が疎かになって弾けなくて、リハーサル自体は全然ハッピーじゃなかったけれど、でも、すごかった。文字通り、いい勉強になった。本番まで、あと少し。
山や道の木々がどんどん紅く、黄色くなっていって、とても綺麗。ロンドンは秋という季節はほとんど無くて、木枯らしと共に葉は落ち、寒々とした枝はすでに冬…。でも、日本も少し寒くなったかも。