いつもは隣の工事の音で目が覚めたりするのだけれど、今日はすごく静かだ。
と思って朝外を見てみたら、すごい雪!
きっとこの雪で、工事ができないのだ。ロンドンは、今日は大変になると思った。
洗濯をした後、夕方までずっと練習。その間に、以前雨漏りの件で来てくれた黒人の人が、また来た。フラットの外(玄関とフラットの間の廊下)を掃除してくれた。「オー、アーユープレイングピアノ?アイワナプレイギターサムデイ、ユーノーボブマリィ?ヒーイズゴッドアメイズィング…」何だか私のよく分からない話だったけれど、彼は盛り上がっていたようだった。「アイラブユアスマイル、へヘイ、スィーユースーン」相変わらずノリノリだ。スノウファイト(雪合戦)しようよ、と言われたけれど、丁寧にお断り…(笑)
きっと電車が遅れている(minor delay)だろうと思い、5時ころ、早めに家を出る。今日と明日、トライアウトクラスがある。今日は、1時間のところ、行きは1時間半、帰りは2時間半かかって、家に着いたのは夜10時半。人も少なく、お店はほとんど閉まっていて、学校や会社も閉鎖されたところが多かったらしい。学校に行く前に、「今日開いていますか。」と電話したほど。「たどり着けるなら来てもいいよ。」という返事の仕方は、イギリスらしいと思った。バスは本数が限られていて、地下鉄はところどころ動いていなかった(partly suspended)。雪の影響、大だった。
明日は晴れるらしいので、少し良くなるかな。
今日、雪が降っているのを見て、ふと思った。
そういえばロンドンでは、ちゃんとした傘をこの3年半、一度も使っていない。折りたたみ傘をひとつ持っているだけ。それも、いつ開いたか思い出せない。どこに行ったかな。傘に困った覚えが、そういえば一度もない。そう言うと雨も雪もないように聞こえるけれど、実は、差すはずの状況下で差してなかっただけだ。郷にしっかり従ってる気がする…(笑)
去ることもなく、常に私の頭の中に留まっているのです。
忘れることもできず、あなたの影をずっと引きずっています。
我が頭痛よ(笑)
きのうの夜の頭痛がほとんど変わらずに取れないまま、朝を迎える。今日は本当に悩まされた一日だった。夜を越えても取れないのは、珍しい。しかも、かなりヘヴィ~なものだ。頭か左目の中に何かできてるのかと疑うほどだった。
ネットで、頭痛の時に役に立つことを探すけれど、どのページを見ても「頭痛」の言葉がたくさん目について、それで頭痛がひどくなりそうだったので、やめた(笑)毎回これを繰り返している気がする。片頭痛は頭の前を冷やす、緊張型頭痛は首の後ろあたりを温めるのが良いらしい。本能で分かってはいるけれど(笑)
レッスンが10時からだったので、ふらふらと支度をして、ピアノも触らずに出向く。大学時代から、授業はさぼったことがあっても、レッスンを欠席したことは一度もない。これだけは絶対に譲れない。視界は良好なのに前が見えないような感覚で、たどり着いた。
隠すように努めたけれど、やっぱり無理だった。ゴッドワッツハプン、と先生に言わせてしまった。自分はまだまだだ。私の物差しでは、頭痛を隠せることは大人になることと同義である。よって、永遠になれない計算。というより、物差し、小さい(笑)
今日は、初めてショパンのバラード4番を持っていく。指にもコントロールが伝わったし、あ、こうやって読み進めるのか、と確かなものを掴んだ。コントロールがきちんとできた時、成長したな、と思う。詳しく、丁寧に見ていただいた。本当に楽しかった。
レッスンが終わった途端に、頭のズキズキが復活。あれ、弾いている間は、どうしていたんだっけ。頭痛を忘れられるなんて。1時間のつかの間の幸福だった。
再び、朦朧としつつバスに乗って、家に戻る。
妹とスカイプで少し話す。お互い体調が優れないのにそれでも話をしようとするあたりが、性(さが)かな、と思う。
今日はあとは何もなかったので、寝ようと努力したけれど、頭痛に阻まれてそれもできず。狼男になる直前の人間のようなものだ(状況は似ているけれど、たぶん違う)。
夜遅く、ようやく引き始めた。心の中で大量の花を撒いて祝った。ふうーーーーーーーーーー長かった!
明日も頑張ろう♪
家に戻ってきたら、いつの間にか壁のデコレーションが終わっていた。何の形跡もなく、ただ壁がきれいになっていただけだ。いつ来たんだろう。明日はピアノの調律師さんが来る予定。…来るかな?(笑)
書きたいことがいろいろあったけれど、頭痛がひどいので、ちょっと無理そう。また明日。
と言って書くけれど、今日、人生で見つけた中で一番気に入っていたピアスを片方、失くしてしまった。家に帰って、外そうとしたら、もう耳に付いていなかった。でも、ネックレスだったらもっともっとショックだったに違いない、とできるだけ前向きに考えてみる。あまり効果はない(笑)形のないものだって無くなるし壊れるんだから、物は当たり前だと思うことにした。
でも、とても良いこともあった。
最初に、以前一緒に住んでいた、日本人の友達。久しぶりで、1時間くらい。あと、家族と2時間半くらい。
その後、夜まで練習して、友達とご飯を食べに行く。そして、夜までずっと話す。
今日はちょっと声を出しすぎた(笑)
意思疎通って、本当に難しい。いろんな言葉を駆使して(英語は語彙がないのでもっと大変)も、それでも伝わらなかったり、大分時間をかけて話した後で、どうやら使った言葉の意味が自分と違っていることに気づいて、全然別の方向で考えていたり。今は言わなくて良いと判断したことを後で気づかれて、「隠していた」と取られることもあったり。もちろん、逆で、自分がそう取ってしまうことも多々。うーーーーーーーん。いろいろ考えた。
洗濯をして、練習をした。ベートーヴェンが、全然分からなくなってきた。音が一発で作れない。何度も何度も弾いて、「あ、これか」という感じで、とにかく遅すぎる。まあこれができたらここにいる必要はないのだけれど(笑)ショパンのバラードは譜読みは終わったけれど、まだまだ形にすらなっていない。ブラームスチェロソナタを譜読みしたり、コンチェルトをやったり。ちょっと中途半端が続いている。
一人の友達がきっかけとなったことだけれど、普段の他人とのコミュニケーションにおいて、「言わない」とはどういうことか、をこの数日考え込んでいた。言わないことで伝わるもの、言わないという妥協でその場が和むこと、言わない優しさ、いろいろある。思ったこと、感じたこと、知っていることすべてを口に出すのは、時には危険だ。言わないという「自分に対する嘘」を知らない人もいて、その場の人が傷ついてしまったりすることもある。ここで今口に出さないと自分のプライドが!という場面も、人によってはあるかもしれない。
人間には感情や思考があって、それを伝えるために言葉が生まれた。言葉が、本来、伝達不可能のはずの感情や思考を他人に教える手っ取り早い役目だったと思う。すごく昔にそんなことがあっただろうけれど、今は、人間は言語を駆使している。
話は飛ぶけれど、言葉を、あえて使わない時、そこには「予測」が不可欠になる。言いたいことを言うのは先を考えなくてもできるけれど、言わないということを選択した場合は、のちの結果をある程度推測していなければ、できないことだ。それに、わざと言葉を使って影響を見るのも、同じ。言葉はとても流動・変動しやすいもので、時と場合で意味が違うことも、言っても意味のないことも、たくさんある。だからこそ、相手にどんな影響を与えるかくらいの、ほんの少しの予測と優しさ(politeness)は、必要なんじゃないかと思った今回だった。
他にもこの数日は、いろいろ考えていて、なかなかまとまらなくて、地に足つかずという感じだった。どれも答えのないもので、答えのいらないものだ。面白い。日本に帰ったらもっともっといろんな本を読みたい。