昼間、嬉しいことがあった。
レッスンも、よかった。
でも夕方頃から頭痛が始まった。あーあ、またか。今日は何がいけなかったんだろう…。ちょっとパソコンの画面を見るのが耐えられないので、また明日。
8時起床!と思ってベッドでパソコンを立ち上げて、次に画面を見たのは1時間後だった。特訓も何も、努力をしていないので全然実らず(笑)
午前中、少しポスター(妄)を考えていて、夜、書いた。
ヴァイオリンの手(ピアノは自分)は、この前友達に写真を撮らせてもらったのでいいけれど、チェロは分からないのでまだ適当。学校にいたイギリス人のチェリストに、「はじめまして」と言って、今度写真を撮らせてほしいと頼んであるので、まだこれから。本当に貼ることにはならないと分かっているのに、何でこんなに楽しいんだろう。今のところミュシャに陶酔中なので、ぽく。アルファベットの方が合いそうだけど。コンピュータが使えたらきれいな仕上がりになると思うけれど、そもそもコンテンツと、ソフトを扱う知識と技術がない。スキャナもない。
昼間、母とスカイプで電話。そして、母の隣にいるであろう父からも同時に着信。……(笑)面白いから「会議」にして3人で話してみたけれど、かなり無意味っぽくて、3分ほどで会議終了(笑)母に、ショパンバラードなどピアノを聴いてもらった。人前で弾いて初めて分かることがたくさんあるので、感謝。父ともその後少し会話。どうしてこれが無料なんだろう。カメラとかマイクとか、付属品との提携で収益を得ているのかなあ。よく分からない。
その後、練習。ベートーヴェンのトリオ1楽章、譜読み終了。きれいー。3楽章も大体。ヴァイオリンとチェロと合わさったらどうなるんだろう。どきどき。
あとは、ショパンバラードで、母に聴いてもらって気づいたいろいろなことを修正。終わったらもう夜だった。
明日は、学校で3時からレッスン。
レッスンのありがたみが今さら分かってきたりして…。
一度でいいから「あたしアーリィバードだよ」と言ってみたい。前、友達が言っていたのを聞いて、感激した。ウェイクアップ=ゲットアップらしい。すごい。
練習開始。今日はショパン一筋。いろんな練習を試みた。ホールでこの曲を弾けることを思って、じっくり、ゆっくり、まったり。面白い。私の場合は、ひとつずつピースを当てはめて作るのではなくて、もとから曇っている全体像を時間をかけてクリアにしていく方だと思っている。子供の時にそんな感じでピアノを弾いていたからかもしれない。後者の方が能率は悪そうだけれど、センスを磨いて速度を早めればきっと大丈夫…。といつも信じている。
そんなことを考えたり弾いたりしていたら、いつの間にか家を出るための支度をする時間に。
6時からのトライアウトクラスのため、学校へ。
来月から、学生のコンチェルト・イグザムが始まる。どこでもコンチェルトが聞こえる。懐かしい。今年のパスカル先生門下もたくさんの卒業予定の学生がいて、コンチェルトの種類が豊富。ラヴェル、シューマン、グリーグ、ラフマニノフ。早く聞きたいなー。私も、グリーグをもう一度しっかり見直したい。シューマンも弾きたい。最近、ちょっと欲張りだ。
母からメールが届いて、クリスマスコンサートで弾いた時に、来てくださった方の感想を教えてくれた。嬉しい感想だった。聴いてくれる人が一人でもいる限り、私はピアノを弾こうと思う。
午後から練習。いろいろ関係ないもの(演奏予定のない曲)を譜読みした。バッハのトッカータをまたきちんと始めたいので、サマー・コースまでには間に合うようにしたい。そうして、自分を追い込まないと何もしなくなることを知っている。たきつける、というか。日々穏やかに、そこにあるべきものがあるように、静かなせせらぎのように生きるという憧れはあるけれど、今はまだ必要ないし、たぶんできない(笑)そのうち、なると思うけれど。
東京にいた時は実家、イギリスにいる時は日本、宇宙に出れば地球、になるんだろう。好きな人とその人たちのいる土地を、自分からの物理的な距離で測っているだけだ。そう思ったら、ちょっと気が楽になる。
そういえば地球で思い出した。この前日本に帰っていた時、「地球の静止する日」という映画があった。英語の題名は「The day the earth stood still」。この題名を見たときに、ようやく「still」という英単語の別の意味を覚えた。3年半もいてちょっと恥ずかしい。辞書には、静寂、和らげる、黙らせる(名、形)などの意味が最初に来ていて、「まだ、相変わらず」の意味は、2つめ。ちなみに、「stand still」で、じっとしている、現状を維持する、という意味に。知らなかった。でも、会話で自分からはまだ使えなそう。
ところで、なぜ静止「した」日じゃないのかな?内容に関係あるのかな。
「the day after tomorrow」の邦題は「デイ・アフター・トゥモロー」と、そのまま。「ハイド・アンド・シーク」とか「マトリックス」とか、日本って柔軟だし素直だ、と思う。無理に「あさって」とか「かくれんぼ」とか「黒客帝国」とかしない。良い悪いじゃなくて、そういう言語の交錯を受け入れる人種だなー、と感じただけ。
中国人の友達に聞いたら、絶対にその意味や物語の内容を中国語で表した、漢字(当然だけど)表記になる、という。日本人は思考を怠るのか、と言われた。別に怠惰だとは思わないけれど、ペンギンもバナナもピアノも、電子レンジ(=range)なんて何だか曖昧だし、ないこともないかも、と思ったり。
雑談でした。
きのうは、何もしない一日だった上にブログの更新まで忘れた。そんな日も。
今日は、9時半起床。とてもよく晴れた一日だった。
気温も少し上がっていたみたい。早く春にならないかな。
練習していて、譜面台の横の、楽譜の山を見つめてふと我に返る。「もしやこれは大変な量なのでは?」と…(笑)こういうのって、普段はあまり目に入っていなくて、たまーにいきなり実感してしまったりする。何をいつ演奏するのかを順に考えて、これはまだ大丈夫、これはもうすぐ、と左と右に分ける。そんなことを実は1週間に一回くらいしている。たまに、アンサンブルとソロに分けたりするけれど、ソロ、少ない…。リサイタルもやりたいんだけど…。
で、さらに、最近あまり触れていなかった、ベートーヴェンのトリオの楽譜を開けて、さらに実感。「これは大変なのでは?」。大曲なのは知っていたけれど、読めば読むほど。そして、ネットで録音を聴いてみる。
すごく幸せになった。曲想もそうだけど、「トリオ」の響きがイイ!チャイコフスキーのトリオを思い出した。そうそう、ピアノとヴァイオリンとチェロが一緒になると、こういう音ー!という懐かしさ。時間がある時は、ない。ない時は、意外にある。今は時間がある時なので、ないと思って頑張って譜読みしようと思う。意味不明。
あとは、ソロや他のアンサンブル曲の練習。
夕方、ヴァイオリンの友達が合わせのために、私の家へ。
モーツァルトのコンチェルトと、ブラームスのソナタ3番1楽章。モーツァルトは、けっこうしっかりやった。彼女とは何度もこの曲をやっているので、息は大体、合う。でも、モーツァルト特有の軽快さや音色、テンポ感はいつでも課題。ブラームスは、熱いし厚い。(私が)音が拾えてないところはあるけれど、一応、inTで。空中でヴァイオリンとピアノの音がDNAみたいに絡まっているのを連想(笑)モーツァルトは、来週の合わせののち、録音。
久しぶりにしっかりアンサンブルをやった感じで、本当に楽しかった。友達は、9時ころ帰宅。
今日はずっとピアノの前にいた。
ポスター(妄想内)を描きたいので、その友達に、ヴァイオリンを弾いている手の写真を撮らせてもらった。非日常的なポスチャと美しい曲線でできた木の楽器。絵になる要素がいっぱい。描くのは手だけだけど。
あと、ピアノの中を見て時々思う。弦ってものすごい力で張られていて、よく考えたらすごい楽器だな、と。低音の弦が切れると、轟くような爆発音がする、と友達から聞いた。ありえる…。
換気のために窓を開けていた。ほんの少ししか離れていなかったのに、部屋に戻ったら、壁に一匹、上から垂れ下がって一匹、蜘蛛が入ってきていた。…速っ!さっそく捕まえて外に出した。蜘蛛は何も悪さをしないので、良い。でも、100円玉(または10ペンス硬貨)くらいあると存在感があるので、わざと入ってきたに違いない、と疑うくらいはする。そうやって、遊んでいる。